日赤発祥の地・熊本 〜連載企画〜

連載46 「赤十字の起こり」と「人道的使命」

赤十字は、スイス人の青年実業家アンリー・デュナンにより設立された。

デュナンは1859年、イタリア統一戦争の「ソルフェリーノの戦い」に遭遇し、その時の悲惨な戦場と救護活動の体験を「ソルフェリーノの思い出」という一冊の本にまとめた。その中で、デュナンは、「傷ついた兵士は、もはや兵士ではない、人間である。人間同士として、その尊い生命は救わなければならない。」と訴え、「戦場の負傷者と病人は敵味方の差別なく救護すること」、「そのための救護団体を平時から各国に組織すること」、「この目的のために国際的な条約を締結すること」などを、提案した。彼の提案は反響を呼び、1863年、スイスに5人委員会が結成され赤十字が誕生した。その後、ジュネーブ条約(国際人道法)が作成され、これに批准(加盟)した国には、「政府から救護団体として認められること」、「一国一社であること」を条件に、公平、中立、独立を旨とする民間の人道的救護団体としての各国赤十字社が設立され、全世界に広まっていった。

一方、日本の赤十字は、元老院議官 佐野常民によって設立された。

佐野常民は、パリ(1867年)やウィーン(1873年)で開催された万国博覧会の団長として参加したとき、そこに出展されていた赤十字パビリオンで、赤十字の重要性やその広がりを目の当たりにした。そして、日本での設立とジュネーブ条約の加盟を願うようになっていた。近代的国際国家を目指す明治政府や軍部の要人の中にも、その重要性を理解している者もいた。そしてそのきっかけが、なかなかつかめないでいるなか、明治10年、1877年2月に西南戦争が勃発した。戦火は日増しに激しくなり、死傷者も増え続けた。皇室は自ら包帯等をお作りになり負傷者にお配りになった。それに感激した三条実美と岩倉具視は、赤十字を知りながらも、あえてクリミア戦争でのナイチンゲールの救護活動を例に挙げ、華族らに寄付金や救援活動を行うよう働きかけた。元老院議官 大給恒は欧州のような一般市民のための病院開設を申し出た。佐野常民はもちろん、アンリー・デュナンの思いと同じ救護団体の設立を願った。そして、田原坂を中心とした地域で激しい戦闘が続く中、岩倉具視の仲介で佐野常民と大給恒が博愛社設立を立案した。「博愛社設立請願書」には、デュナンの著した「ソルフェリーノの思い出」と同様に、戦争の悲惨さや、負傷兵を人道的に見捨てられないことが記載され、欧州の例や、皇室の思いと博愛精神が説かれている。また、請願書に添付された「博愛社社則」には、欧州各国の赤十字社を模範とした救護団体の組織運営が提案されている。その願いは激しい戦火の中、なかなか認められなかった。昔から謀反は打ち首か切腹かの重罪であり、薩摩藩出身者も旧幕臣もいる政府からの許可は期待できなかった。また、誇り高き武士にとって無用なものであった。博愛社設立を急いだ佐野常民は戦地で直訴することにした。そのとき政府軍の征討総督本営は、城北から熊本城内の旧熊本洋学校教師館ジェーンズ邸に移動していた。征討総督有栖川宮熾仁親王殿下は、銃撃戦によるあまりにひどい惨状と、多くの戦傷者の悲惨さを目の当たりにしておられ、本営で佐野常民らの請願を受け、日本赤十字社の前身である「博愛社」の設立と活動を即刻認可された。その時、殿下に拝謁した佐野常民は、感極まって号泣したと云われている。博愛社の設立は、目の前の戦傷病者を敵味方なく救うと同時に、近代国家としての日本を見据えた人道的救護活動であり、人道・博愛精神による奉仕や寄付金を基盤とする国民運動でもあった。

佐野常民は、ウィーン万国博覧会の感想から、「文明といい開化といえば、人みな、すぐに法律の完備、または器械の精巧等をもって、これを証しといえども、余は独り赤十字社のかくの如き盛大にいたりしをもって、これが証左となさんとすなり。真正の文明は道徳的行動の進歩と相伴わざるべからず。この行動の進歩を促すは、志士、仁人なりと深く感動することなり。」と訴えていた。日本赤十字社の前身である博愛社の設立請願書には、「山野に委(ゆだね)し、雨露に暴して、死を待つといえども、捨て顧(かえり)みざるは人情の忍ばざる所に付、是また収養救治いたし度、御許可有之候…。」と、17昼夜におよぶ「田原坂の激戦」の悲惨な戦場を描いた記述があり、さらには皇室の精神や、欧州の人道的な戦時救護を例に挙げ、「本件の義は一日の遅速も幾多の人命に干し即決急施を要し候…。」とある。そしてそれは、多くの国民の願いでもあった。国際赤十字が「ソルフェリーノの戦い」をきっかけとして誕生した時と同じように、日本では西南戦争の「田原坂の戦い」をきっかけとして、ついに皇室の保護のもとに、1877年5月に戦地熊本で「博愛社」として誕生した。そして、日本がジュネーブ条約に加盟した翌年の1887年に、日本赤十字社と改称し現在に至っている。佐野常民が、「熊本こそ 此れ 赤十字事業の 創業の地なれ」と言っているとおり、西南戦争の戦場において、日本における近代的な人道的行動と赤十字運動が開始された。また、それが現在へと、世界へと繋がっている。その歴史的意義は大変大きいものと言わざるを得ない。イタリアのソルフェリーノの丘に近いカスティリオーネの教会で、婦人達が必死に救護活動を行ったように、熊本の田原坂に近い植木町、玉東町、亀井町、玉名市及びその他の周辺地域のお寺や町医者などにより、献身的な救護活動が行われていた。それは熊本から九州、そして日本全土に広がり、その延長線上で日本の赤十字が誕生した。

日本赤十字社の起こりは、国内で最大で最後の内戦である西南戦争にさかのぼることができる。そのときの激戦地や献身的な救護活動が、日本赤十字社の前身である博愛社を誕生させた。つまり、西南戦争の戦場こそが日赤を誕生させたことになる。それが、田原坂及びその周辺地域が「日赤発祥の地」と言われる由縁でもある。そして、その活動は、我が国における近代的(世界的)な人道的行動の歴史的第一歩となった。私たちは、イタリアのソルフェリーノの丘と同じように、官軍及び薩軍の戦死者約14,000人の名前が刻まれている田原坂の「西南役戦没者慰霊之碑」や、「田原坂崇烈碑(熾仁親王撰文竝篆額)」を前にして、これまでの幾多の戦争や災害で犠牲となった多くの御霊に心を寄せ、赤十字の誕生に想いを起こすことができる。そして、「被害者の人道的利益を守るためにはどうすべきか」という、赤十字の黄金律を常に自問自答しながら、赤十字の理想とする人道的任務を達成し、赤十字の人道的使命を具現化していかなければならない。

人々の命と健康を守り、赤十字の理想とする戦争のない平和を願って。

(支部 梶山哲男)

閉じる
  • ご寄付のご案内

    熊本県支部では、毎年継続した資金協力によって赤十字活動を支えていただくパートナー「赤十字会員」を募集しています。
    ここでは、ご送金方法、地域の赤十字窓口、また赤十字へのご寄付に関する表彰制度や、税制上の優遇措置などについてご案内します。

    さらに詳しくはこちら
  • 遺言・相続財産によるご寄付

    近年、遺言によるご寄付(遺贈)や、相続財産のご寄付のご相談が増えています。
    安心できる方法で、信用できる団体に寄付したいという思いは、皆さま共通しています。
    ご自分や故人の「救いたい」思いを赤十字へ―。
    遠慮なくお問い合わせください。

    さらに詳しくはこちら
  • お香典返しのご寄付

    お香典返しに代えて、赤十字を通じ、故人の遺志を社会に役立てられませんか―。
    お香典返しのご寄付のお申し出を承っています。
    ご希望により、ごあいさつ状等も作成いたしますのでご相談ください。

    さらに詳しくはこちら