近ごろ文書棚の整理をしたとき、たまたま一冊のファイルを手にし、以前日赤の発祥の地をめぐるバスツアーが実施されたことを思い出した。早速、ファイルを開いてみた。 このファイルは、平成17年(2005年)10月30日、「第14回全国ボランティアフェスティバル火の国くまもと」が開催されたときの文書綴りだ。メイン会場の産業展示場「グランメッセ熊本」では、各種赤十字奉仕団が結集し「日赤熊本ふれあい広場」が開設され、「熊本市産業文化会館」では青少年赤十字加盟校による「青少年赤十字のつどい」が開催された。そして、特別企画として「赤十字ゆかりの地を旅するバスツアー」が実施された。
このバスツアーの「しおり」には、「日本の赤十字活動の発祥の地を旅する」と題され、サブタイトルに「日赤ゆかりの地を訪ねるバスツアー」と記載されている。主催者は日赤熊本県支部と熊本県青少年赤十字賛助奉仕団となっている。しおりの内容は、水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)、県指定重要文化財「熊本洋学校教師館ジェーンズ邸」、熾仁親王殿下、西南戦争などの資料が添付され、日本赤十字社ゆかりの地について説明がなされている。手造りとは言え立派な資料だ。読んでみると、観光名所と合わせて、日赤発祥の地が非常にうまく説明されており、親しかった友人か先輩に再会したような喜びを感じる。
日赤の発祥の地をめぐるバスツアーは、午前8時30分に熊本市役所を出発し、水前寺公園経由、ジェーンズ邸(=日赤記念館)、日赤熊本キャンパス、益城熊本空港IC経由、玉東町正念寺(住職による説明)、田原坂公園、田原坂資料館(ボランティアによる案内と説明。昼食は地元地域赤十字奉仕団の皆さんの炊き出しによるだんご汁)、県道鈴麦線を経由して、午後1時30分に熊本市民会館着の日程であった。
全国から50名の参加があり、参加者からは、「熊本のおもてなしと、赤十字精神の原点が伝わる感動的なツアーだった。」と、感想が寄せられていた。 この「しおり」の資料の中で、熊本日日新聞の記事として、A4サイズの用紙一枚に日赤発祥の地が掲載されていた。この記事は、この連載の書き始めより何年も前に書かれたものであるが、詳細な調査や取材が基になっていることがうかがえる。うまく説明されている。「さすが」である。
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ここに、地元新聞紙も以前から語っていた「日赤発祥の地」として、その全文を紹介しておく。
「日赤活動原点今も
両軍戦傷者救済へ構想語り合う」
西南戦争の両軍戦傷者救済のため、明治10年(1877)、日本赤十字社の前身である「博愛社」が誕生した。発祥の地は、熊本城内にあった洋学校教師館ジェーンズ邸とされるが、厳しい戦闘が繰り広げられた玉名郡玉東町と玉名市にも日赤活動の原点とされる史跡が残っている。
西南戦争では2月下旬、玉東町や玉名市中心部も戦場となり、3月に入ると田原坂で激烈な戦いが続いた。死傷者は急増し、あちこちに負傷者を治療する包帯所が設けられた。
同町木葉の中心部、208号線に面した正念寺もその一つ。境内には「博愛社発祥起縁の地」の記念碑が建ち、1キロ離れた徳成寺にも同様の碑がある。徳成寺の碑文には軍医が不足しているため、木葉の医師3人が門弟を率いて治療にあたり、元老院議官・佐野常民が感激して、敵味方の区別なく傷病兵の治療にあたる博愛社の設立を決意したと記され、「実に木葉は日赤発祥の地なり」と誇らしげ。
地元の玉東中学校の第2番にも「吉次木留と 西南の 戦史彩る ふるさとに 芽生えた愛の 赤十字 村の誇りと 伝えよう われら 玉東中学生」と織り込まれている。 同市岩崎の玉名女子高校には「日本赤十字社発祥之址」記念碑がある。
同校一帯は旧高瀬藩邸跡地で、熊本城下の戦火を避けて仮県庁が置かれ、近くの高瀬の寺院約10箇所には傷病兵が収容されていた。佐野常民と富岡敬明県令(県知事)は仮県庁で、悲惨な状況に置かれている両軍の戦傷者を救済する構想を語り合ったと伝えられる。
また、この記念碑には「薩摩軍の北進を食い止めた『北限の地』という意味もある」と、岩永清吉・玉名の自然と文化を守る会会長。同会は毎年「西南の役をしのぶ集い」を開いている。
佐野は4月6日、政府に博愛社設立願書を提出したが、不許可。5月1日、征討総督・有栖川宮熾仁親王に直訴して認められた。その場所が熊本城内の洋学校教師館で、今は水前寺公園そばに移築されて日赤記念館となり、2階の一室に設立が決まった部屋がある。
このほか、両軍の傷病兵を治療した熊本市室園の拝聖院など、赤十字活動の原点といえる場所は各地に残り、博愛社社則の一つ「敵人の傷者といえども 救い得べき者はこれを収むべし」という精神を今に伝えている。(平成14年2月20日付け熊本日日新聞県内総合版)
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赤十字ゆかりの地を旅するバスツアーは、西南戦争で救護活動に関わった方々の高き理想を偲び、赤十字活動の原点を見つける旅である。西南戦争においては、明治政府と軍と国民が一体となって、「敵人の傷者といえども 救い得べき者はこれを収むべし」と宣言した。
これは、西南戦争の激戦地や征討総督本営から、日本国として日本人として初めて世界に向けて宣言した普遍的な誓である。
博愛社の誕生は、人類共通の崇高な「赤十字思想」、つまり、「傷ついた兵士は兵士ではない、人間である」という、国や宗教を超えて人間誰しも持っている、人の命や尊厳を大切にするという思いや、困っている人を何とか救ってあげたいという「思いやりの心」に、気づき、考え、実行していくことを意味している。その赤十字の理想とする人道的思想が次第に根付いていき、日頃からの備えや活動を通して、その先に平和な世界があるということを、このバスツアーで実感できるのである。
そして、いざという時のために、平時から活動し続けている赤十字と、献身的にそれを支えてくださっているボランティアの皆さまや国民の皆さまに敬意を表したい。
(支部 梶山哲男)