日赤発祥の地・熊本 〜連載企画〜

連載37 「お互い様、思いやり、助け合い」の精神

「お互い様、思いやり、助け合い」の精神

赤十字は、世界では1859年イタリア統一戦争の「ソルフェリーノの戦い」でスイス人のアンリー・デュナンが提唱し1863年に設立された。これと同じように、日本では1877年西南戦争の「田原坂の戦い」で元老院議官佐野常民が提唱し、ここ熊本の地で博愛社として誕生し活動を開始した。つまり、熊本は日本赤十字社の「ゆかりの地」であると同時に「創業の地」でもある。

日本赤十字社の使命である医療救護の面から考えると、官軍と薩摩軍合わせて4万から7万人と言われる負傷兵をどうやって治療したのか興味がわく。17昼夜におよぶ田原坂の激戦では、負傷者があふれ、軍医や看護人のほか、多くの地元の医者や住民たちがその手当に当たった。官軍においては、現在の植木町や玉東町で初動救護が行われ、その後兵站基地である高瀬(玉名市)でも治療が行われ、最終的には大阪の鎮台病院に8千人もの負傷兵が搬送された。
長崎県軍団病院もその重責を果たしている。
田原坂が陥落した後、3月下旬から4月中旬にかけては、植木・木留の戦いと並行して、官軍は南(水俣)からも進軍し、八代方面でも激戦が繰り広げられ、八代や宇土にも官軍の野戦病院が設置された。病院には、当初から薩軍の負傷兵も含まれており、治療が充分とは言えないまでも、確かに捕虜として治療が行われていた。しかし、実際の医療現場では相当な苦労があったはずである。また、戦場を含めた広範囲にわたる各地域においては、民家や山野に逃れた負傷兵が、官軍や薩軍の区別なく、地域の住民から博愛の手を差し伸べられ、少なからず治療を受けていた。

 

一方薩摩軍は、田原坂の南側に陣を張り、民家などを利用した薩軍病院で初動救護を行った。負傷者は、ここから薩軍の兵站基地である熊本市南端の川尻町に搬送され、野戦病院118箇所で治療が行われた。手術を行う後方基幹病院は川尻町の延寿寺だった。ここは田原坂から20数キロ離れており、官軍に比べれば十分な医療体制とは言えなかったが、医療技術は官軍より高かったとも云われている。また、これとは別に、以前紹介した細川藩御殿医である八世鳩野宗芭は、熊本城の籠城戦で家を焼かれ疎開していたにもかかわらず、戊辰戦争での従軍医の経験を生かし、敵味方の区別なく負傷者を救うことを条件に、薩摩軍熊本隊に協力した。藩医たちを集め、拝聖院、梅木小学校、光照寺、民家41戸での本格的な救護活動だった。薩摩軍が熊本城を包囲し、植木、山鹿方面に進軍した時からである。博愛社設立以前からの命がけの救護活動であったはずである。
熊本においても、博愛・人道精神で、敵味方の区別なく治療しようとする医師達が多数存在し、任意による組織的な救護活動が実践されたことは、西南戦争での、薩軍占領地内におけるもう一つの赤十字的活動であり、熊本の誇りとすべきことである。

また、おびただしい数の戦傷病者はどのように搬送され看護されていたのか。患者の包帯交換、着替えや入浴、食事、その他の介護はどのようになされたのか。これも相当大変だったはずだ。不思議なことに歴史の資料のなかでそれが問題になったことはない。それは意外と問題なく行われたことを物語っている。博愛社の設立が公に許可され、一般に告知されたことも、いい方に影響したとも考えられるが、戦争で家を焼かれ避難した人もいるなか、大勢の熊本の人たちが当たり前のように、最初から、お互い様、思いやり、助け合いの精神で、官軍や薩摩軍の区別なく、沢山の兵隊さんの治療のお手伝いやお世話をした証拠でもある。

 

そもそも、日本人誰しもが持っている「お互い様、思いやり、助け合い」の精神の結晶として博愛社が誕生した。そして、博愛社が後に日本赤十字社となり現在に至っていることから、博愛社が創業された熊本や、その発端となった田原坂が日本赤十字社の発祥の地となっている。もし後に日本赤十字社になっていなければ、博愛社は、幻の赤十字的救済事業を行った、その時だけの救護団体ということになる。熊本における博愛社の設立は、公に許可されることが最大の難関であり劇的なものであった。しかし、人の命を救うことを考えると、ごく自然に、必然的に誕生したのが博愛社であったのかもしれない。非人道的に人を殺しあう悲惨な戦争の中、田原坂の激戦地に全国から寄せられた博愛・人道の精神。官軍も薩軍もなく、人を人として治療した人々。そして、戦闘地域以外においても、ただの負傷した人間として、あたりまえのように治療が行われていた。九州の真ん中に位置し、九州鎮台が置かれ、それが、熊本の人々の責任感に繋がっている。そして博愛社の人道的活動が受入れられて実践することが出来たのも、九州の中心である熊本の魅力とするところである。

博愛社の誕生にはいろいろな伝承があるが、特に地元のお寺が果たした役割は大きい。負傷兵の治療を行った病院とは、その大半がお寺だった。そしてここでは、もともと仏教の精神で敵味方の区別はなかった。最近、官軍の占領地でも薩軍の占領地でも同じように、「両軍を治療していた。そして、それが博愛社の誕生に繋がった。」という話をよく聞く。皇室の思いや、小松宮彰仁親王殿下が両軍の治療を民家で行ったいたという伝承も同じ精神である。その延長線上で博愛社が誕生し、敵兵の治療に勅命が与えられた。

 

 

また、西南戦争では電報や新聞の普及などにより、日本国民一人一人の思いやりの心が熊本の地に結集された。その思いやりの心からくる活動はしだいに開花し、赤十字の旗の下で現在まで繋がっている。つまり、日本人の心にある「お互い様、思いやり、助け合い」の精神が、ジュネーブ条約に基づいた赤十字マーク(当初は赤の丸一マーク)を付けることで、国内で唯一の政府から認められた世界共通の民意の人道的救護団体となり、日本における赤十字活動となって、世界にも広がっているのだ。これらのことは博愛社が果たした大きな成果でもある。西南戦争の終結は、日本の近代化の幕開けとなったが、これと同じく、日本国民の博愛精神や道徳的行動の近代化(国際化)の幕開けとなった。

(支部 梶山哲男)

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