日赤発祥の地・熊本 〜連載企画〜

連載36 「熊本こそ 此 赤十字事業の 創業の地なれ」(Ⅱ)

博愛社設立がすぐに認められなかったのは、博愛社社則の第4条に定められた「敵人ノ傷者ト雖モ救ヒ得ヘキ者ハ之ヲ収ムへシ」の条文が原因であると伝えられている。それは事実かもしれないが、その解釈については誤解をされているのではないだろうか。その理由は、「敵味方の区別なく救護するという考え方がまったく理解されなかった」という表現が使われ、あたかもそれが、博愛精神や人命尊重というものが、それまでの日本人は希薄であったかのような説明が多いからだ。実際には、理解されなかったのには別の理由があり、そう単純に説明できるものではない。

日本には、欧米にはない民主的精神国家が、江戸時代までに既に確立されていた。日本人は礼儀をわきまえていた。文化を大切にしていた。日本は節度ある道徳的先進国家だった。これらのことは、日本にとっては当たり前であっても、世界では類を見ないそうだ。地域の人々も皇室も幕府もそれを実践していた。八百万の神を大切にする神道、武士道の精神、仏教の教え、伝統芸能、茶道や華道、人の命や尊厳など、日本人独自の道徳感で、自然崇拝と共に大切にしていた。死んだ後も敵味方なく平等にお墓を建て、神仏として弔ってきた。そして、日本人の道徳的行動は欧米よりはるかに進んでいた。岩倉使節団が国際赤十字の博愛精神にすぐに共感できたのも納得できる話だ。

ただ、現実問題として、戦闘中、武士として戦う戦(いくさ)にあっては少し違っていた。「傷ついた兵士はもはや兵士ではない」という、欧州特有の人道的考え方は、全く別の社会構造からくるものであった。理解されなかったのではなく、国際的な戦争の経験のないそれまでの日本には、当てはまらなかったのだ。むしろ、日本では博愛精神は欧州以上に進んでおり、自然に善美なことと思ってそれなりに実践していた。大将の首を取ってしまえば後はおとがめなしだった。降伏するときは白旗で合図し、大将が切腹し自害すればそれで戦は終わりだった。そして民は大切にされていた。要するに、日本国内の戦は、欧州諸国の戦争とは戦い方が全く違っていた。規模も違っていた。特に日本の武士というものは、欧州で言う国と国、民族と民族が戦うための兵士とはまったく違う、日本だけの存在だった。大義や主君のために最後まで戦うのが武士である。自分の命よりも、忠義や正義や礼節などからくる道徳的精神を重んじていた。文武に励み死を恐れず勇敢に戦っていた。もともと主君に命を捧げていた。優しくて力持ちだった。負傷していても、武器を持たなくても武士は武士である。

実際のところ西南戦争では、官軍は徴兵により兵士が集められたが、まだまだ武士の魂が実践されていた。戊辰の仇打ちとして戦っている旧幕臣や会津藩士も多数いた。薩摩軍の中には責任を取って切腹する者、その後を追う者、捕まるより死を選ぶ者も多くいた。死に場所を求め潔く死ぬのも武士である。また、両軍とも止(とど)めを刺すように命令が下されていた。そこに、いきなり異文化である欧州の例に習った中立的な救護団体がやって来ても、無意味であり相当混乱する。自分がどうなろうと敵将を倒すまでが戦である。「一人の人間として救う」と言われても、いくら近代的国家を目指していても、現実的ではなかった。そこには、個人より集団を重んじ、和を重んじ、死をもってでも自分の責任を果そうとする日本人がいた。それも日本国内の不平士族の反乱である。止めを刺すのも切腹させるのも武士の情けである。武士の行動については、忠臣蔵や白虎隊を想像すれば良く理解できる。助けると言われても、余計なお世話である。捕らえらた者は国事犯として裁判にかけられてはいたが、生き恥をかくだけだった。戦で名誉ある死を遂げれば家族や子孫も安泰である。うまく説明できないが、誇り高き武士には無用であった。武士が言う「死に場所を得たり」だ。ここにラストサムライの運命のようなものを感じる。しかも、九州鎮台である熊本城の安否も分からず、「勝てば官軍負ければ賊軍」と言われる中、正直、どちらが勝つか負けるか分からない、正義と正義がぶつかる激しい戦争だったのだ。

しかし、武士の信念とは裏腹に、そこに、一日に32万発(官軍が使用した小銃弾の数)もの銃弾が飛び交い、これまでにない非人間的な近代戦が始まった。武士の魂である刀とは違い、道徳的な考えや行いをもって戦う日本人とは全く違う、惨たらしい戦闘が繰り広げられた。武芸や武術も、学問も武士道もあったものではない。来る日も来る日も、とにかく悲惨だった。銃弾による殺戮は、もはや日本人や武士の道徳をはるかに逸脱していた。現在の大量破壊兵器も同じである。戦地では地域住民らが隠れてでも両軍負傷兵の手当を行っていたが、その多さに追いつけなかった。そんななか、「こん ままじゃ でけん」(このままではいけない)という思いで生まれたのが博愛社設立運動だった。国民もそれに賛同した。明治政府が反対するのを説き伏せるかのように、皇族により許可が与えられ、それに政府が追随した。武士の尊厳より命の尊厳が優先された瞬間だった。

思い起こせば、佐野常民は明治6年にウィーンで開催された万国博覧会で、日本からの出展を団長として任され、帰国すると博覧会男と称賛されたが、その後日本でも国際赤十字のような救護団体を組織し、日本人の博愛精神と道徳的行動の進歩としての人道的事業を興し、これを真の文明開化の証としたいと考えるようになっていた。そこには武家社会の完全な終わりと自由民権をも予感できる。そして、事あるごとに国民主権による中立的な救護団体の設立を画策していた。明治政府の要人達は、欧州の赤十字のことを良く知っており、その重要性を理解している者もいたが、西洋かぶれやキリスト教を警戒する要人達も多く、ことごとく反対されていた。そんなとき勃発した西南の役は、西の方で起きた不平士族の反乱として片付けられようとしていたが、その規模は甚だ大きく、明治政府は存亡の危機に立たされていた。もはや「役」ではなく国を二分する「戦争」であった。官軍による捕虜の治療は行われていたが、死傷者は増え続け、佐野常民は、戦野に倒れ、雨露に打たれながら死にゆく人を、どうしても見捨てることができなかった。一刻を争っていた。「敵人ノ傷者ト雖モ救ヒ得ヘキ者ハ之ヲ収ムへシ」は、政府軍に強く言い聞かせるような条文で、命を大切にする国民や皇室の強いメッセージが込められていた。そしてついに民意が天に届いたのだ。

それでは、赤十字は一般の救護団体と何が違うのか。赤十字たる所以は、やっぱり、政府から救護団体として認められていること。一国一社であること。敵も味方も双方が了解したうえでの国際的な条約(取り決め)に基づき、中立的立場から人道的被害者を救うこと。更には、活動するときは赤十字マークを掲げること。そして、公平、中立、独立を守るため、一般の市民からの浄財が主な活動資金となること。いかにも西洋的である。国際的基準である。これらの基本的なことが実行されて初めて赤十字活動と言われ、そこに「人道」が成立する。これまで武士が考えていた命の価値観とは全く違う世界感だった。少なからず、日本では佐野常民の提案により、西南戦争時に始まり現在に受け継がれている。武士であるまえに、一人の人間として命の尊厳を訴える運動でもあった。そういう意味において、佐野常民は、将来のジュネーブ条約の加盟を見据えて「博愛社」を創業した。救護という意味においては、思うように事が進まなかったかもしれないが、皇室の保護のもと、篤志者による全国的な組織を作り、西南戦争の戦場から、国際基準として人間としての大切なものを訴え、1人でも多くの尊い命を救うことを実践した。世界の中の日本の将来を見つめながら、国際的近代国家の一員として創業したのだ。しかも、アンリー・デュナンの数年わたる生みの苦しみがあってこそ、日本では、戦争中にもかかわらず短期間で設立できたのだ。このようなドラマチックな誕生が他国にあるだろうか。すばらしい日本だからできたのではないか。そしてそれは現在まで脈々と受け継がれている。まさに日本国民による道徳的行動の進歩としての「人道」の始まりであり、日本人の「ヒューマニズム」の近代化である。その出発点が「田原坂」であり、熊本城内の「熊本洋学校教師館ジェーンズ邸」だったのだ。

時は流れ、明治29年11月5日、熊本では、日赤熊本委員部(明治22年5月30日設置)から日赤熊本支部に改称されて初めての社員(赤十字の篤志者、会員)総会が開催された。当初、熊本市南千反畑町の観聚館(かんしゅうかん)で開催される予定だったが、参加者が8千人を超えたため、急きょ、県会議事堂及び県庁と観聚館の間の道路を遮断して、その会場に当てられた。ジェーンズ邸はこの時、既に移築されており、偶然にもこの社員総会の会場である観聚館敷地内の熊本県商品陳列所として利用されていた。総会に出席した佐野常民は、熊本城や旧ジェーンズ邸を目の前にして、集まった多くの社員に挨拶し力強く語った。

「熊本こそ 此 赤十字事業の 創業の地なれ」

そして、当時を偲ぶ詩も残した。

「賛同一万五千人 熊本城頭喜色新 換却昔年悲惨事 団々忠愛自生春」

佐野常民満73歳、最後の九州巡行の旅であった。

(支部 梶山哲男)

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