日赤発祥の地・熊本 〜連載企画〜

連載29 熊本軍団病院で救護活動を開始

明治10年3月20日の田原坂の陥落後も、薩摩軍は植木・木留で政府軍を食い止め、激しい戦いを行っていた。そして、熊本城から4月15日に薩摩軍が撤退した後も、御船の戦いが4月17日から20日まで、1日では最大の激戦であった健軍・保田窪決戦が4月20日、大津攻撃が4月21日と戦闘は続いていく。 そんな中、4月6日、佐野常民と大給恒との連名で岩倉具視あてに提出した博愛社の設立請願書には、戦争の悲惨さや、人を人として救う佐野常民の心情や博愛精神がうかがわれ、欧米文明の戦争時の救済の例をあげ、1日も早く救済したい想いが伝わってくる。

その一部を紹介する。「…攻撃、日夜を分たず、官兵の死傷すこぶる夥多なる趣、戦地の形勢逐次伝聞いたし候所、悲惨の状、誠に傍観するに忍びざるの次第に候。…百法救済の道を尽す事、必要と存じられ候。…看護医治の方法、整備すといえども、連日の激戦の創傷の者漸(ようや)く増し、……往々傷者を山野に委(ゆだね)し、雨露に暴して収むる能(あた)はさるかの由。此輩の如き、大義を誤り、王師に敵すといえども、皇国の人民たり、皇家の赤子たり。負傷座して、死を待つといえども、捨て顧(かえり)みざるは人情の忍ばざる所に付、是また収養救治いたし度、御許可有之候…。本件の義は一日の遅速も幾多の人命に干し即決急施を要し候に付…」。

そして、設立請願書に添えた博愛社社則第4条の「敵人ノ傷者ト雖モ救ヒ得ヘキ者ハ之ヲ収ムへシ」は、いくら反対されても、佐野常民は削除しょうとはしなかった。常民は、1人の人間として、まともに治療されずに死んでいく人を一人でも多く救いたくて、居ても立っても居られない心境だったのだ。常民は請願書を提出した翌日の4月7日に、50日間の九州への賜暇願(休暇願)を提出した。その後、やっとの思いで、5月1日に現地熊本で博愛社設立の許可を得たのである。
博愛社設立の許可を得た後、佐野常民の行動については日赤熊本県支部史に書かれているので、それを参考に説明してみる。

佐野常民は博愛社設立の許可を得るために全力を傾注していたため、創設当時はまだ救護員はもちろんのこと、資金、救護材料等の準備は整っていなかった。佐野は戦場の悲惨な状況を見るに忍びず、一刻も早く救護活動を展開するため、東京の大給恒等に博愛社設立についての詳しい状況を報告するとともに、至急、佐賀に戻り鍋島直大家令に謀り、資金300円を借用し、自らも金100円及び綿撒糸、白木綿等を捻出し、医員等4名を雇い熊本に戻った。そして、直ちに熊本城内の総督本営で軍団軍医林軍医監、緒方軍医正、三浦軍医正等と博愛社として救護のあり方や標章等について付いて協議した。救護活動の具体策をまとめ、熊本の地で博愛社の印章、標章を考案し、また勤務上の諸条件を定め、5月27日に総督本営の許可を得ることができた。

佐野常民は5月27日に熊本軍団病院に4人の医員等派遣し、この日が博愛社活動の始まりとなった。しかし、実際には佐賀から熊本に戻ってから5月27日までの十数日間は、戦闘状態でなくなった地域における軍団病院等で、手始めに治療や看護を行っていたと考えられる。熊本軍団病院に派遣された四人は次のとおりである。

○医員 月俸30円 佐賀病院四等医兼同取監獄係長崎県士族小川良益

○医員助 月俸22円   長崎士族 津田一蔵

○庶務係兼看護長 月俸18円 長崎士族 江原益蔵

○看護手 月俸5円 長崎県平民 町浦冨蔵

佐野常民は、4人にそれぞれ辞令書を交付したが、小川良益医員の辞令書は次のとおりである。

軍人ノ創者患者救濟ノ爲メ本社医員醫員トシテ傭人候ノ義ハ軍團軍醫長ノ管理ヲ受ケ、其ノ他ノ事務ハ委員の指揮ニ從ヒ能々社則ヲ守リ、忠愛ノ本旨相達候洋勉勵可阿有之候依テ其俸トシテ一カ月金三拾圓並夏冬衣料金貮拾五圓支給可致候也明治十年五月

博愛社委員 佐野常民   小川良益 殿

医員、医員助、庶務掛兼看護長、看護手の救護員4人は、博愛社の趣旨を体し、寝食を忘れ、緒方病院長管轄のもとで、誠心誠意戦傷病患者の救護に当たり、博愛社創設以来初めて救護活動を開始した。

そして、佐野常民は、博愛社創設の趣旨、印章、勤務上の諸条件等について、軍部及び各関係機関に周知させるため、先ず、各旅団、軍団病院等については軍医部長に依頼し、また、熊本県庁等必要な各機関には、今後の博愛社の活動を理解させ協力を求めるため、自ら趣意書、印章、標章、及び請願書・許可書・博愛社社則(写)を送付した。6月2日付けで熊本県富岡権令(現在の知事)に送られた佐野常民の親書及び設立願書、標章等は今でも熊本県立図書館に保管されている。

常民が考案した博愛社の標章は「赤の丸一」である。「日の丸」は当時国旗としての法的な裏付けはなかったが、日本船の目印として採用されていた。また、「赤一字」は、松本順(初代陸軍軍医総監)が発案し、明治4年には軍医部の標旗として採用されていた。この「日の丸」と「赤一字」を併せた「赤の丸一」を博愛社の標章としたのである。

明治政府の海軍の基礎を築き、かつて医学を学んだ博愛社の創設者佐野常民にふさわしい標章と言える。

(支部 梶山哲男)

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