日赤発祥の地・熊本 〜連載企画〜

連載28 熊本城内の征討総督本営(ジェーンズ邸)(Ⅱ) ~有栖川宮熾仁親王殿下御遠征の概要~

明治10年2月、熊本の地で西南戦争が勃発すると、有栖川宮熾仁親王殿下は明治10年2月19日に征討総督に任ぜられ、薩軍討伐のため九州に南下されたが、その御遠征の概要は次のとおりである。

明治10年
<2月19日>
西南の役勃発のため、征討総督に任じられる
<2月24日>
征討のため京都を出発、午後10時神戸港出発
<2月26日>
午後博多湾入港、波高きため上陸できず
<2月27日>
午後上陸、福岡市勝立寺に宿営

熊本城内の古城<3月 1日>
福岡県二の丸に転営
<3月15日>
福岡出発
<3月16日>
久留米旧城南師範学校明善堂に本営を設置
<3月22日>
久留米出発、熊本県玉名郡南関町正勝寺に宿営
<3月23日>
玉名郡高瀬に到着、繁根木の臼杵正路宅に宿営
<3月24日>
付近七カ所の軍団病院を慰問(延久寺、光蓮寺など)
<3月25日>
田原坂、植木口、木留の戦線を巡視
<3月31日>
再び戦線を巡視

<4月 5日>
熊本城より密使県属古城貞を引見
<4月 6日>
戦線を巡視、滴水砲台より望見の際、流弾帽簷をかすむ
<4月15日>
黒田参軍熊本城に入城
<4月16日>
総督、平岡少佐を遣し、谷少将以下を慰問、山縣参軍入城
征討総督本営<4月17日>
総督午前7時高瀬を出発、午前11時熊本に到着、本営を元中学校教師館に設置
<4月18日>
城の内外、防禦線、県庁、天守台の焼跡を巡視、更に鎮台病院を慰問
<4月19日>
川尻緑川等の戦線を視察<4月23日>健軍、立田付近の戦線を巡視
<5月 1日>
佐野常民、本営に至り参軍山縣有朋、高級参謀小澤武雄等と面接、博愛社設立について総督殿下に言上、内諾を得
<5月 3日>
博愛社設立の請願書を上呈し、即刻許可の旨下賜
<5月21日>
総督各旅団に対し論告を発し志気を鼓舞せらる
陸軍大将二品親王熾仁謹書(阿蘇神社)<5月23日>
細川護久の別邸に立寄らる
<5月24日>
九州臨時裁判所、熊本裁判所、県庁に立寄らる

<6月中、各地に小戦闘断続す>

<7月 3日>
熊本出発、百貫石より出航
<7月 4日>
長崎到着
<7月 6日>
各軍団病院を慰問。帰京の途に着かる
<7月18日>
熊本本営に帰営
<7月21日>
鹿児島県国分に在りし山縣参軍より本営を鹿児島に進められんことを電請
<7月24日>
熊本本営を出発
<7月25日>
鹿児島に入港、本営を鹿児島に移さる(以下省略)

高松宮家編纂『熾仁親王行実』には総督殿下が熊本に滞在中の状況を記述した次の一節が残されている。

顧みれば熊本の滞陣己に三ヵ月余に及び、その本営は粗造なる西洋館の一棟のみ、
朝夕逍遙せらるべき庭園だになく、折から暑熱焼くが如く甚しかりしかば

火の国の 名にあらはれて なかなかに
もゆるばかりの あつさなりけり

と御述懐あり

遠征の概略の中に、4月17日、『本営を元中学校教師館に設置』と記載されているが、 元中学校教師館は明治4年に細川護久候によって熊本城内に創設された熊本洋学校の教師館であり、その位置は熊本城の南西部の一郭にあった。(日本赤十字社熊本県支部史)

(支部 梶山哲男)

閉じる
  • ご寄付のご案内

    熊本県支部では、毎年継続した資金協力によって赤十字活動を支えていただくパートナー「赤十字会員」を募集しています。
    ここでは、ご送金方法、地域の赤十字窓口、また赤十字へのご寄付に関する表彰制度や、税制上の優遇措置などについてご案内します。

    さらに詳しくはこちら
  • 遺言・相続財産によるご寄付

    近年、遺言によるご寄付(遺贈)や、相続財産のご寄付のご相談が増えています。
    安心できる方法で、信用できる団体に寄付したいという思いは、皆さま共通しています。
    ご自分や故人の「救いたい」思いを赤十字へ―。
    遠慮なくお問い合わせください。

    さらに詳しくはこちら
  • お香典返しのご寄付

    お香典返しに代えて、赤十字を通じ、故人の遺志を社会に役立てられませんか―。
    お香典返しのご寄付のお申し出を承っています。
    ご希望により、ごあいさつ状等も作成いたしますのでご相談ください。

    さらに詳しくはこちら