日赤発祥の地・熊本 〜連載企画〜

連載22 包帯所が置かれた徳成寺(とくじょうじ)

徳成寺常民が戦況を視察したかもしれない4月18日前後、本営は熊本城に移ったとはいえ、まだ植木周辺や健軍保田窪では戦闘が繰り広げられていた。熊本城からさほど遠くない現在の日赤熊本の所在地もまだ戦場だったのだ。久留米、大牟田方面から加藤清正が整備した三池街道を通って高瀬、木の葉、玉東町、田原坂、熊本城までは一本道で、視察と言ってもまだまだ田原坂くらいまでがやっとのはずである。博愛社の活動を始めるなら、戦闘状態が終わって軍が離れて行ったところ、つまり高瀬や玉東町が最初の活動場所と考えるのが常識的である。常民は高瀬や玉東に置かれた野戦病院を視察しながらここで本当に活動できるのか、その為には何から手を付けたら良いのか。正式な許可は何時何処で受けようか、などと仮県庁に戻り策を練っていたのかもしれない。戦傷病者を救うため一刻も早く博愛社を結社し活動を開始したかったはずだが、まだこの時点では、岩倉具視からの正式な回答は確認できず、常民は気ばかり焦っていたことだろう。もしこの時点で催促したとすれば、西郷従道が4月19日に回答し、同23日に正式な不許可が下ったのも、納得できる事の流れである。

徳成寺

徳成寺

高瀬から田原坂に向かう途中、官軍病院に指定された正念寺というお寺の少し手前に徳成寺というお寺がある。このお寺は、玉東町役場から歩けば10分のところであるが、国道に面していないので分かりにくい。

 

ここは、官軍の包帯所が置かれていたところで、戦況視察に(3月中旬?)訪れた元老院議官佐野常民が、町医者の昼夜の献身的な行為に感激し、「博愛社」の結成を決意したとの話が伝えられている。徳成寺の右側にある道を登っていくと宇蘇浦官軍墓地があり田原坂、横平山などで戦死した官軍兵士347人が埋葬されている。城を抜け出し何度も敵に捕まりながらも逃げ出し、官軍本隊に籠城軍の窮状を伝えた宮崎県出身の陸軍伍長谷村計介や、木葉の戦いで戦死した官軍第三大隊長少佐吉松秀枝などがこの地に埋葬されている。お寺の境内の墓苑には博愛精神で看護し尊い命を救ったとして「博愛墓苑」と表示してある。

徳成寺

徳成寺の「日赤発祥之地」と刻まれた石碑には、「明治十年,西南役之田原坂戦ニ際シ,官軍ハ三月中旬,木葉ノ徳成寺,正念寺,境木ノ民家ニ大小ノ包帯所ヲ設ケ戦傷兵ノ治療ニ当ルモ軍医ノ員数足ラズ,コレヲ知リタル木葉ノ宗,田尻,安成ノ三開業医ハ直に其ノ門弟ヲ率イテ来リ軍医ヲ援ケ日夜将兵ノ手当ニ従事ス,偶戦況視察ニ来レル元老院議官佐野常民,大給 恒ノ両氏ハ町医者ノ献身的ナル行為ニ感激シ,博愛社ノ結成ヲ決意シ,五月三日,征討総督有栖川宮熾仁親王ニ願出ヅ 即日許可セラレタリ,博愛社ハ後ニ日本赤十字社トナリ ソノ病院モ二十年,日本赤十字病院ト改メ,陸軍々医総監橋本綱恒コレガ初代院長トナル。実ニ木葉ハ日赤発祥ノ地ナリ」と書かれている。お寺の写真風景が日赤本社所蔵の絵画「博愛社救護所」に非常に似ているのも気になるところだ。

(支部 梶山哲男)

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