日赤発祥の地・熊本 〜連載企画〜

連載19 博愛社誕生を語り継ぐ光蓮寺住職

光蓮寺(玉名市三ツ川) この光蓮寺は西南戦争時官軍の病院となった寺で、西南戦争には大変関係のあるお寺である。現在は玉名市から南関へ行く途中の三つ川というところの山中に引っ越している。そこには次の代の住職老夫婦がお住まいである。住職は以前青少年赤十字の指導者として活躍されいたいた先生で、子供たちの合宿訓練であるトレーニングセンターでも幾度となく日赤熊本県支部がお世話になった先生でもある。寺を訪ねてみると、お寺の境内にしっかりと「気づき、考え、実行する」というスローガンと青少年赤十字のマークが掲示してある。引退されてからもしっかりと伝えて下さっていることに感謝である。 

お寺の裏には官軍兵のお墓が4基あり、墓石の裏には出身地のほか高瀬病院と刻まれている。お墓も一緒に引っ越して来たのだ。寺の入り口横には広い紙に手書きで、「本堂廊下の板について  明治10年西南戦争の時、本堂が野戦病院(高瀬病院)となり、沢山の負傷者が運びこまれた。なかには戦死された方もあった由(当山にその方の墓石があります)。明治天皇は佐野常民氏にその様子を見聞するように派遣されました。佐野氏はその様子を見て、帰国後大給恒と両氏で博愛社を創設されました。それが現在の日本赤十字社です。玉名が日本赤十字社の発祥の地の所以です。(これは当山住職だった澄圓法師が実証されました)戦場となり野戦病院となった本堂廊下が大変破損したので、新しい廊下を桜井家(金澤家)が寄進されました。(大工さんは髙木寿太郎殿)」と書いてある。

高瀬病院と墓石の側面に刻まれている。この日赤発祥の地の言い伝えであるが、多田澄圓氏が弥富村村長塚本平次氏から聞き、それを元弥富小学校長岩尾喜鶴氏に告げ、それが玉名高等家政高校長寺本直樹氏に伝わった。玉名歴史研究会「歴史玉名第12号」平成5年冬季号、日本赤十字社序幕物語 寺本直樹書には、「弥富村の村長であった塚本平次の話として、玉名町光蓮寺住職多田氏が談る『明治十年春、自分が十八才のとき岩崎原仮県庁に給仕を勤めていた。或る雨の日蓑をきた二人の上品な紳士が訪れたので権令に伝えた。その二人は佐野常民・大給恒の元老院議官であって二階に案内した。二人は権令に対し田原坂の戦場を視察したが、負傷者の状況は悲惨であって、切り刻まれ或は陰茎を切って口に詰め込まれた死者もあった。自分等は博愛社の事業を興そうと思うと言われ権令も大いに賛意を表され、事業創設の事が決められた云々』。又、大正12年の県教育会玉名郡支部で編纂した玉名郡誌にも簡単に同様の口碑が載せられている。…」と掲載されている。 

現在の多田住職の話では、「仮県庁で差し出された名刺には佐野常民と書いてあった。また、玉名高等家政高校関係者が、東京に出向き、佐野子爵家にそういう事実(常民が仮県庁を訪れた事など)があったか問い合わせ、事実を確認したうえで、高校の敷地内に日本赤十字社発祥の地の木標が立てられた。」ということである。聞き伝えられた内容は少しずつ変化していくものであるかもしれないが、いくつかの言い伝えが残っている以上、佐野常民が博愛社設立のため玉名を訪れたことは否定できない。可能性とすればそれは3月もしくは空白の15日間である4月中旬ごろではなかっただろうか。

 

(支部 梶山哲男)

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