日赤発祥の地・熊本 〜連載企画〜

連載18 ~日本の「ソルフェリーノの丘」は「田原坂」~

ソルフェリーノの啓示西南戦争で最初の激戦地は「西南戦争の関ヶ原」と言われている高瀬、現在の玉名市である。そして最大の激戦は「田原坂の戦い」である。世界赤十字の創設がアンリデュナンが書いた「ソルフェリーノの思い出」を原点とし、その地がイタリアの「ソルフェリーノの丘」であるなら、それと対照的に日赤の前身である博愛社発祥の原点の地は、何と言っても「田原坂」ということになる。世界赤十字ができた時と同じように、田原坂の激戦や戦死傷者の悲惨さが伝えられ、明治天皇皇后両陛下を始め、岩倉具視、大給恒、華族皆が「救いたい」という思いの中、立ちあがったのが佐野常民という一人の男だったのではないだろうか。高瀬や田原坂は当時福岡から熊本に通ずる一本道であり、有栖川宮率いる官軍も佐野常民も幾度となくこの地域を往来したはずだ。いづれにしても「田原坂」は日本の「ソルフェリーノの丘」なのである。

佐野常民は西南戦争勃発のとき公務は何をしていたのであろうか。1874年(明治7年)ウィーン万博の用務を終え帰国し、1875年(明治8年)7月元老院議官に就任、8月には政府に提出した「澳国博覧会報告書」が刊行されている。そして翌1876年(明治9年)から西南戦争が勃発するまでは空白である。日本の近代化の指針となる膨大な報告書をまとめ上げ、国内で初となる内国勧業博覧会の準備をしていたのだろうか。博愛社設立時には大給恒は公務で忙しかったが、佐野常民は欧州出張のあと処理や、文明開化を実現するなかで、西南戦争が勃発し、同僚の戦死の報を聞きながら、我を忘れて赤十字事業の創設に没頭していったのではないだろうか。常民は、西南戦争の中盤急きょ東京に呼び戻され、8月には上野で第一回内国勧業博覧会を開催している。

佐野常民は、おそらく3月の初旬ごろから、天皇皇后両陛下の思いを胸に刻み、博愛社結社について準備を進め、岩倉具視、大給恒の理解を得たが、東京や大阪では許可が下りなかったのである。西郷従道には「征討の事は皆有栖川総督の宮殿下にお任せになって居る殿下へお願ひになったら良かろう」と言われ、皇室にも同じことを進められ、結果的には田原坂や植木方面の戦いが一段落したころを見計らって、熊本城内において直談判したのである。

慰霊碑佐野常民は最初に博愛社設立願書を提出した4月6日以前に、博愛社設立の事前準備のため戦地を視察したのであろうか、それとも4月12日に神戸を出発して、その時征討本営が置かれ、熊本県の仮県庁が置かれていた高瀬に来たのであろうか。史実として確固たるものはないが、日赤発祥の地として田原坂より以北の高瀬や、玉東町には、たくさんの言い伝えが残っているのは確かだ。しかし、最大の激戦が繰り広げられ最大の犠牲者が出た「田原坂」は日赤発祥の地の筆頭であることには違いない。「ソルフェリーノの丘」では毎年世界赤十字関連のイベントが開催されているが、日本においては「田原坂」と言うことになるはずだ。

(支部 梶山哲男)

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