日赤発祥の地・熊本 〜連載企画〜

連載12 敵味方の区別なく救護した明治の偉人達(Ⅲ)~高松凌雲~

高松凌雲
高松凌雲は佐野常民と同じくパリ博で始めて赤十字と出会った後、フランスの「神の家」という医学学校に留学。ここで凌雲は麻酔を用いた開腹手術などの様々な最新医療を学ぶとともに、「医師は人間の生命を救う尊い職業である」という精神を徹底的に叩き込まれた。また、「神の家」には貧しい人たちに無料で診察・治療している貧民病院が併設されており、患者には貧富の区別なく常に最良の治療を施すべきことを学んだ。この貧民病院は貴族、富豪、政治家などの寄付によって成り立っており、国からの援助を受けない民間病院であった。

凌雲の留学中の1868(慶応4年)正月元日、日本から「本国伏見において戦争起こり、幕兵大敗せり」と電報が届いた。徳川慶喜による大政奉還、そして、鳥羽伏見の戦いが勃発したのだ。凌雲はフランス郵船で5月横浜に帰国。8月16日混乱の江戸で榎本武揚と会い開陽艦に乗組み品川沖を後にした。凌雲はパリに留学させてくれた幕府への恩義に従い、蝦夷地に幕臣の国を作ろうとした榎本武揚らに合流し、函館戦争に医師として参加したのだ。この開陽艦は台風に襲われ奥州の東名に漂着したが、ここで、東北地方で転戦した古屋佐久左衛門(凌雲の実兄)の衝鉾隊、大鳥圭介の伝習隊、土方歳三の新撰組や仙台・会津藩の降伏反対の将兵を艦船にのせ出帆、10月21日北海道鷲ノ木村に上陸した。

函館に入ると、凌雲は函館病院の院長に就任する。これは榎本の依頼ではあったが、「病院の運営には一切口出ししないこと」という条件を榎本に突きつけ、戦傷者を敵味方問わず治療した。当然、最初は敵方の兵士と共に治療されることに対して混乱や反発も生じたが、凌雲はパリ留学で学んだ精神を胸に、毅然とした態度でこれを制したとされる。この行動は日本で初めての赤十字の活動と言われているが、興味のある方は「夜明けの雷鳴、医師高松凌雲」吉村昭著を是非読んでもらいたい。

函館戦争終結後、凌雲は敵味方の差別なく治療に当たり、また高い医学知識を持っていることが新政府にも評価され、特に大きな処罰を受けることなく、東京に帰り開業した。その後常民から「博愛社」への誘いもあったが、これを断り明治12年(1879年)民間救護団体の前身と言われる「同愛社」を創設。貧民の施療事業を起こし救護事業で先駆者となった。人道主義に生き抜いた高松凌雲は大正5年(1916年)80年にわたる波乱に満ちた数奇な生涯を閉じたが、「同愛社」は昭和20年(1945)まで続き、診察を受けた貧民は70万人とも100万人とも言われ、戦前の日本における社会福祉医療の一端を担った。

(支部 梶山哲男)

 

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