日赤発祥の地・熊本 〜連載企画〜

連載7 岩倉使節団(Ⅰ)~佐野常民との接点~

ウイーン万国博覧会会場

1873年(明治6年)5月1日から11月2日までの約半年間開催されたウイーン万国博覧会には、日本から佐野常民事務副総のほか官員や技術者など95名が派遣されていた。ちょうど時期を同じくして、明治4年(1871年)11月に横浜港をたち、1年10か月にわたり欧米諸国に派遣された総勢107名で構成された岩倉使節団も、約8ヶ月におよぶアメリカ滞在の後、大西洋を渡り、イギリス(4ヶ月)・フランス(2ヶ月)・ベルギー・オランダ・ドイツ(3週間)・ロシア(2週間)・デンマーク・スウェーデン・イタリア・オーストリア・スイスの12カ国を訪問していた。その後地中海からスエズ運河を通過し、紅海を経てアジア各国(セイロン、シンガポール、サイゴン、香港、上海等)への訪問も行い、出発から1年10ヶ月後の明治6年(1873年)9月13日、同じ横浜港に帰国している。博覧会会場で岩倉使節団は佐野常民から説明を受け、赤十字パビリオンも視察したことが予想できる。

使節団の主要メンバーは外務卿である岩倉、参議の木戸孝允、大蔵卿の大久保利通、工部大輔の伊藤博文である。正に明治政府を動かしていた要人ばかりである。使節団の主目的は友好親善、および欧米先進国の文物視察と調査であったが、各国を訪れた際にかつて井伊直弼が結んだ不平等条約・日米修好通商条約の改正を打診する副次的使命を担っていた。欧米諸国を巡り、各国元首と面会して国書を手渡したが、ついに条約改正の糸口はつかめなかった。それどころか岩倉はアメリカの近代国家ぶりは想像をはるかに超え激しいカルチャーショックを受け、またイギリスでは日本では考えられない工業技術に圧倒された。もはや使節団は条約改正どころではなくなり、各国への留学が主要目的となったのである。

帰国後岩倉は日本の繁栄は鉄道の設置が急務とし、日本鉄道会社の設立に積極的に携わった。留学生も帰国後に政治、経済、教育、文化など様々な分野で活躍し、日本の文明開化に大きく貢献した。しかし一方では、廃藩置県の後処理を任された留守政府で朝鮮出兵を巡る征韓論が争われ、使節の帰国後岩倉はこの論争を聞き、すぐに内務優先を唱えて征韓論に反対の立場を表明したが、ついに明治6年の政変に至った。岩倉使節団から見れば国内の文明開化や軍事を含めた国力のアップが最優先であって、清国との戦争に繋がるかもしれない征韓論は絶対反対だったのである。結局、西郷隆盛を筆頭に当時の政府首脳である参議の半数と軍人、官僚約600人が職を辞し、佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱など士族の反乱が続く中で、ついには明治10年(1877年)私学校生徒の暴動から西南戦争が勃発したのである。(支部 梶山哲男)

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