日赤発祥の地・熊本 〜連載企画〜

連載2 隆盛挙兵から博愛社誕生まで~常民空白の15日間~

西郷隆盛が鹿児島で挙兵したのが2月15日、隆盛がまだ川尻に到着してない2月19日に熊本城が炎上し、同日付けで政府は鹿児島県逆徒征討の詔を発し正式に西郷軍への出兵を決定した。熊本を通りすぎて北上するつもりだった隆盛はまだ何もしないうちから政府に逆賊にされてしまったのである。熊本城に火をつけたのは誰なのかまだ判っていない。その後2月22日に熊本城総攻撃、2月27日には高瀬で「西南戦争の関ヶ原」と言われる激戦が繰り広げられ、ついに薩摩軍は後退し政府軍と薩摩軍の勢力が逆転した瞬間となった。その後3月4日から田原坂の激戦へと戦火が移動していった。ちなみに電信などの近代的な通信網はすでに張り巡らされており、熊本城においても征討総督本営が4月17日に入城したと同時に電報も開通している。

戦況の変化や戦場の悲惨さ、おびただしい死傷者の情報はすぐさま政府に報告され、天皇皇后両陛下も同じ国民の惨状に心を痛められ、大阪鎮台病院を慰問されたり、薬品や包帯などの治療材料を戦地に送ったりされた。元老院議官佐野常民は明治10年4月6日に時の右大臣岩倉具視(華族督部長)あてに、同氏より紹介された元老院議官の大給恒(賞勲局副長官)と連名で「博愛社設立請願書」を提出、翌7日休暇願を出し京都に立ち寄り、同地に滞在中の明治天皇に従っていた政府の要人らにも願書を提出し、4月12には神戸を出発した。その間、岩倉具視は陸軍卿代行に就任し政府の留守を守っていた西郷従道に内申するが良い返事が得られず4月23日付けでこれを却下している。そして結果的には、常民は熊本で有栖川宮熾仁親王に直訴し博愛社設立の允許を得たのが5月3日である。

佐野常民がいつの時点から博愛社の結社を考え、その為どのような行動や根回しをしていたのか。また、博愛社設立の請願が最初は却下されたのはなぜか。4月6日まで常民は何をしていたのか、西南戦争では賊軍も治療するという救護団体の結社は欧米を知っている知識階級には理解されていたが、官軍の中には旧会津藩士など薩摩藩に恨みをもつものも少なくなく、隠密に行動していたかもしれない。4月12日神戸を出発して4月27日故郷である佐賀に着くまでの15日間何をしていたのか。高瀬の仮県庁や玉東町の官軍病院に佐野常民が訪れ、博愛社の結成について決意したとか打合せをしたという言い伝えが残っているがどのような内容であったのか。また、博愛社が許可され熊本でどのような活動をしたのか。日赤の発祥の地熊本としては知っておきたいことばかりである。

いずれにしても、どのような状況の中で日赤が発祥したかを語るには、常民以外の日本人が赤十字をどの程度知っていたかなどを知っておく必要がある。その為に次回からは西南戦争をはなれ常民と赤十字との出会いやその当時の欧米と日本との文明の違いなど、少し歴史を遡ることになる。熊本をしばらくの間離れることになるが御許しいただきたい。(支部 梶山哲男)

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