日赤発祥の地・熊本 〜連載企画〜

連載3 常民がヨーロッパで出会ったもの~国際赤十字~

パリ万国博覧会会場

博愛社誕生を語るには、明治維新の最中に遡らなければなければならない。1867年(慶応3年)、佐野常民はパリで開催された万国博覧会に佐賀藩団長として参加。このパリ万博は江戸幕府のほか、佐賀藩と薩摩藩が出展し、日本人が初めて参加した万国博覧会だった。ここで常民はスイス人アンリ・デュナンが提唱した赤十字と運命的に出会うことになる。その後オランダに行き、日進の建造を発注し、西欧諸国の軍事、産業、造船術などを視察して、パリでフランス皇太子に拝謁し、イギリスを視察し、翌1868年(明治元年)に帰国している。日進とは、木造汽船で日本海軍草創期の主力艦として活躍し、台湾出兵、西南戦争などに参加した日本で巡洋艦と呼称された最初の軍艦である。

また、パリ万博の江戸幕府代表団には、日本における赤十字運動の先駆者とされる高松凌雲がいた。幕府は、倒幕運動で国内が混乱しているなか、国際社会から認知を受け幕府の主権を固めたかった。そのため将軍徳川慶喜は弟の昭武を代表に日本代表団を派遣することとし、凌雲は西洋医学の知識と語学力が評価されて代表団の随行医に選ばれたのだ。 パリでは江戸幕府の出展と薩摩佐賀藩共同の出展があり、日本国の出展は代表で一本にするよう要請され、どちらを日本の代表とするかで、討幕運動と同じ対立が同時期にパリでも繰り広げられていたことになる。また、日本赤十字社の設立に関係の深い渋沢栄一やアレキサンダー・フォン・シーボルトも同行していたことは興味深い。万博を終えると、凌雲は留学生としてパリに残るよう言い渡され留学することになるが、当然常民とも親しかったはずである。ちなみ常民も凌雲も共に緒方洪庵が大阪に開いた蘭学の私塾「適塾」の門下生であり、前回紹介した漫画家・手塚治虫の曽祖父手塚良仙もおなじ門下生であった。また、常民に同行の野中元右衛門は万博が開催されて間もなく、パリで病没している。悲しい出来事であったであろう。凌雲の箱館戦争の際の蝦夷政府軍の病院長の活躍は後に紹介することにする。

常民にとって二度目の赤十字との出会いは、1873(明治6)年のウィーン万国博覧会に事務副総として多数の技術者を率いて渡欧した時で、その貴重な体験をまとめた膨大な報告書は、日本の近代化の指針となり、博覧会を通じて日本の近代化に貢献し、「博覧会男」の異名を得ている。もちろん国際赤十字の組織と活動の報告もなされているが、日本での赤十字社の設立を意識していたに違いない。このとき注目すべきことは1年10ヶ月におよび欧米を視察中の岩倉使節団がウィーン万博覧に立ち寄り、その後国際赤十字の本部であるジュネーブまで足を伸ばし、事務局長のモアニエと面会していることだ。そのときの英文の記録を最近日赤本社が翻訳しているのでこれも詳しくは後に紹介することにする。(支部 梶山哲男)

 

閉じる
  • ご寄付のご案内

    熊本県支部では、毎年継続した資金協力によって赤十字活動を支えていただくパートナー「赤十字会員」を募集しています。
    ここでは、ご送金方法、地域の赤十字窓口、また赤十字へのご寄付に関する表彰制度や、税制上の優遇措置などについてご案内します。

    さらに詳しくはこちら
  • 遺言・相続財産によるご寄付

    近年、遺言によるご寄付(遺贈)や、相続財産のご寄付のご相談が増えています。
    安心できる方法で、信用できる団体に寄付したいという思いは、皆さま共通しています。
    ご自分や故人の「救いたい」思いを赤十字へ―。
    遠慮なくお問い合わせください。

    さらに詳しくはこちら
  • お香典返しのご寄付

    お香典返しに代えて、赤十字を通じ、故人の遺志を社会に役立てられませんか―。
    お香典返しのご寄付のお申し出を承っています。
    ご希望により、ごあいさつ状等も作成いたしますのでご相談ください。

    さらに詳しくはこちら