日赤発祥の地・熊本 〜連載企画〜

連載1 日赤発祥の地「熊本」の原点~「博愛社創設許可の図」~

本社の会議室401号室には、日赤発祥の起源が熊本にあることを物語っている3枚の油絵が展示してある。それは、「田原坂の戦斗(西南の役)」と「博愛社救護所」と今回紹介する「博愛社創設許可の図」の3枚である。会議室でこの3枚を見ると大都会にいても熊本を誇らしく思え、自分の存在感をアピールしたくなる。本社も認める日赤発祥の地・熊本を実感できる。

さて、この絵はどのように制作されたかは不明であるが、救護団体の結成が許可され元老院議官佐野常民が号泣した、まさにその瞬間であり、いわゆる博愛社が産声をあげ誕生した日赤発祥の地の原点の図である。この建物は皆さんご存じの日赤記念館「ジェーンズ邸」であるが、跡地は熊本城内の征討総督本営が置かれた場所であり、県立第一高等学校内の体育館付近であることはあまり知られていない。常民先生の感極まった涙が今でもしみ込んでいるかもしれない。

描かれている人物は、征討総督有栖川宮熾仁親王(当時42歳)、征討総督本営参軍山県有朋(当時39歳、のちの内閣総理大臣)、同本営参謀小沢武雄(当時32歳、のちの日赤副社長)にそっくりである。実に良く描かれている。左端は顔が見えないが、征討軍軍医部長林紀(はやしつな)(当時32歳、のちの第2代軍医総監)、もしくは、従軍軍医石黒忠悳(いしぐろただのり)(当時32歳、のちの第4代軍医総監・日赤4代社長)であるかもしれない。頭を下げている佐野常民は当時54歳でこの中では最年長である。実にそうそうたるメンバーである。顔の表情も博愛人道に満ちている。初代陸軍軍医総監松本良順(当時44歳)も5月下旬にこの場所を訪れ、佐野常民から博愛社の説明を受けている。紹介した名前はこの連載の中でたびたび出てくるので是非覚えておいていただきたい。ちなみに日本の漫画家、アニメーター、医学博士である手塚治虫の曾祖父手塚良仙(当時51歳)は西南戦争に軍医として従軍し赤痢にかかり明治10年10月10日長崎陸軍病院で没している。(支部 梶山哲男)

(写真 寺崎武雄 「博愛社創設許可の図」 制作年不明 73.0×91.0 日本赤十字社蔵)

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